[追悼]井上淑彦さんを悼んで「zephyr インタビュー」再掲

 

サックス奏者の井上淑彦さんが亡くなった。

取材をさせていただいたのがちょうど2年前の桜が咲こうとするころ。

 

2012年3月に立ち上げた、彼の第3のレギュラー・ユニットとなるzephyr(ゼファー)というユニットがファースト・アルバムをリリースする2013年3月のことだった。

 

田口悌治と天野丘というスタイルの異なる2人のギタリストを擁するユニークなトリオだ。

 

強烈な個性を放つ3人のユニットということで、取材も気合いを入れて臨んだ。井上淑彦さんには、森山威男クァルテット時代以来のファンだったこともあって、話をうかがえるのを楽しみにしていた。

 

井上淑彦さんの「いつも“過程”でいたいんですよ」という言葉がとても印象的だった。自らの行為に結果を求めることで安心を得たいという人は多い。しかし彼は、それをあえて否定し、“過程”でいたいというのだ。

それは成長を求めるための理想であり、一方では答えを得られないもどかしさがつきまとうはず。

音に対しても答えを求めず、“過程”を求めるということこそ、型にはまらないインプロビゼーションを求める真のインプロヴァイザーとしての矜持がそこにあるような気がした。

2013年5月号掲載の「jazzLife」誌掲載の記事を再掲したい。

 


 

 

柔らかな風が巻き起こす

インプロとアンサンブルのシームレスな幻影

 

 サックス、アコースティック・ギター、エレクトリック・ギターというユニークな組み合わせの3人組ユニット“zephyr(ゼファー)”がアルバムを制作した。リズム楽器を起用しないことで独特の“柔らかなサウンド”が生まれた背景や、それぞれが考えるサウンドへのアプローチなどについて語ってもらった。

 

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2+2⇒3という出会い

 

zephyrを語り始める前に、zephyrとして集結することになった3人の関係について整理しておこう。

井上淑彦と田口悌治の共演歴は、田口が2005年に制作した2ndアルバム『ワン・フォア・セヴン』に井上をスペシャル・ゲストとして招いたことに始まる。その後、池袋のP’s Barというライヴハウスにデュオで出演。このデュオと、田口悌治が天野丘とやっていたデュオがやがて合体することになる。

その田口と天野は、5〜6年前に天野が講師を務める渋谷の音楽教室ルフォスタで開催していた定期演奏会に田口がゲストで呼ばれ、天野と2人で「なにかやってください」ということになって意気投合して以来という付き合い。

井上は三好“サンキチ”功郎と加藤崇之を擁するバンドを組んでいたり、ほかにも井上銘(g)と市野元彦(g)、市野元彦と清野拓巳(g)などのツー・ギター・バンドの経験があるように、ギターが2本あることに違和感よりもむしろ可能性を感じているようである。しかしその彼にしても、田口と天野というタイプの大きく異なるギタリストとの3人編成を最初からイメージしていたわけではなかった。

発端は2012年3月。品川のイーストワンタワーのエントランスホールで、あるイヴェントが開催されることになった。井上と田口のデュオが出演していたP’s Barのマスターがこのイヴェントに関係して縁で、2人にも出演のオファーがあったのだが、その際に田口の頭のなかに、もう1つのデュオすなわち天野丘を加えてみたらどうかというアイデアがポンッと降りてきた。イヴェントは1時間ほどのワン・ステージ。そこで手応えを感じた田口は、すぐにその夜のP’s Barのステージに出演することを決めてしまう。こうして、ギリシア神話に登場する西風の神に由来し「優しい風」を意味するzephyrは動き始めた――。

 

初共演の瞬間に決定したバンド結成

 

井上 昼のイーストワンタワーでのライヴと、夜のP’s Bar、両方ともすごくおもしろかったので、すぐにバンドにしちゃえってことになったね。

田口 それで3人で最初にライヴをしたあと、すぐに井上さんが名前を考えてくれたんですよね。

井上 zephyrっていう言葉をどこかで見て、おもしろい意味だなぁって思って、手帳に書き留めていたんですよ。まさに3人のサウンドにピッタリ合うと思ってね。

天野 イーストワンタワーのライヴはよかったですよね。あそこは広くて天井も高くて、エコーの感じが独特だった。俺は弾いていて「あぁ、音楽がこの3人を呼んでくれているなぁ」って思ったもの(笑)。それまで共演したことがなかった3人が集まったわけだから、最初はどうなるのかなぁって不安もあったんだけど、始まったらそんなのは吹っ飛んじゃった。自分が好きなように演奏すればいいんだって思えたからね。

――デュオではなく3人になったから見えてきた可能性があった?

井上 サックスとギターのデュオだと、どうしてもギターが1人になってしまう場面が多いですよね。僕が吹いていないとそうなるわけだから。だからといって、無理にチョコチョコ絡むようにするのもヘンだし。それが3人になったら、いろいろできることがあるんじゃないかって、そのとき思いましたね。

田口 サックスとギターだと、ソリストと伴奏者になっちゃうことが多いんですよ。でも、ギター2本になると、伴奏していない人がそこに加わるからその感じがおもしろいなぁって思ったんですね。この3人だと極端な場合は、みんながソロをとっていたりするから(笑)。

井上 最初は田口もエレクトリック・ギターを弾いていたけど、サウンド的にアコースティックにしたほうがいいんじゃないかって変えたら、バランスがものすごくよくなった。それでまた3人でやる意味が広がったよね。

――井上さんはギター2人と空間に「入っていく感じ」なんですか、それとも「自分のほうへ引き寄せる感じ」なんですか?

井上 両方ですね。

天野 うん、そういう気がします。

――出入りが自由なところも、zephyrが求めている部分?

井上 そう。誰かが出した音を聴いて、感じたことを音にしていくというイメージ。そういうのを0.0何秒というところでやりあっていくというような……。

天野 瞬発的に、自分がそこでなにをすればいいのかということを考えて表現するんです。

井上 0.1経っちゃったら、もう遅い(笑)。

――インプロヴィゼーションと言ってもいいんでしょうか?

井上 基本はインプロヴィゼーションです。

田口 そう、インプロヴィゼーションですね。だから、アンサンブルとインプロヴィゼーションの混ざり合い方がまたおもしろいところで、たぶん聴いている人はどこからどこまでがアンサンブルで、どこからがインプロヴィゼーションなのかわからないという……。

天野 そういう曲があるよね、はっきりしている曲もあるけど。

――必ずしもジャズに準拠しないという意味も含めて?

田口 ビバップのセオリーに則っていない曲もあるという部分ではそう言えるでしょうね。

 

書き込まれた譜面の向こうに見える自由

 

――アルバム制作のきっかけは?

田口 僕がそろそろ次のアルバムを作りたいと考えていたんです。だけど、ちょうどzephyrというバンドができたから、その始まりの部分を記録しておきたいなと思って、2人に話を持ちかけてみたんです。

――選曲は?

天野 最終的なまとめはテイちゃん(田口悌治)だったよね? レコーディングするんだったらこれをやろうってみんなで持ち寄ったものを渡して、選んでもらったという感じ。

井上 ライヴではいろんな曲をやってるけど……。

天野 けっこうレパートリー多いですよね。

田口 トシさん(井上淑彦)が多作で、次々に曲を持ってくるから(笑)。オリジナルも多いけど、スタンダードもしっかりアレンジしてやってるよね。収録した「ソフィスティケイテッド・レディ」なんか、ちゃんとアレンジしてるから。

天野 バッチリ書き込んでますよね。

田口 インプロヴァイズ以外のところはすべて譜面どおりにやってくださいという、まるでクラシックみたいなやり方もするからね(笑)。

井上 1曲目の「フェアリー・ウッヅ」も、アコースティック・ギターのアルペジオに関してはすべて譜面に書いてあるんですよ。

田口 そう、譜読みなんです(笑)。

井上 そのアルペジオ自体が曲であるというか、メロディと同等に扱われるように作った曲だからね。

田口 それに対して、譜面にまったく書かれていないことをキューちゃん(天野丘)がやってるんだよね。

――譜面に書かれたことと書いてないことという“束縛と自由”がzephyrの特徴?

井上 いや、自分がその瞬間に出ている音に対してなにをするのかということ自体が、ある意味で束縛でもあるわけですよ。反応するということは、自分がやりたいように演奏することとは違うわけだから。そういう意味での束縛はあるけど、それはそれで心地良いわけです。だから、譜面のあるなしではなくて、どのバンドにも“束縛と自由”はあるんですよ。

田口 譜面どおり細かく刻んで弾かなければいけないというパートを弾いているときに束縛を感じるかといえば、そうじゃないんですよね。その瞬間も井上さんのサックスの音とかキューちゃんのギターの音が僕には聴こえていて、そのなかにいることが自分の意識を解放することにも繋がっているから。

天野 譜面を読んで楽器を弾くというのは、そこから音楽を始めるよという状態だと思うんですよね。だからある意味で、譜面のような束縛があるというのはいいことなのかもしれない、束縛されないためのきっかけとしてね。

――zephyrには、到達点というか、こういうサウンドになればいいなぁというのはありますか?

井上 僕にはないですね。基本的な姿勢として、自分が作ったときのイメージを表現できればいいというのと、あとはこの3人それぞれの個性でそれが変化していくおもしろさが出ればいいと思っているので。だから、曲の一部分でも完成に近づいたとしたら、そのときは絶対にぶち壊すと思いますね(笑)。

田口 なるほど(笑)。

井上 いつも“過程”でいたいんですよ。

天野 そういう意味では、zephyrが結成された初期の“過程”が記録されたことは重要ですよね。

井上 そうだね。ライヴはすでにアルバムとは違っているから……。

――つまり、このアルバムはzephyrの録音時点までの“過程”であり、すでに次が始まっている、と?

井上 アルバムとライヴを聴き比べてもらえば、それがわかると思います。

天野 そこがこのバンドのおもしろいところなんですよ(笑)。

 

 

2013年3月18日のインタビューから

インタビュアー&まとめ:富澤えいち