話題になっているジャズ界のニュー・カマー、サマラ・ジョイ。
彼女のインタヴュー記事を読んでいたら、ジャズに対してどんな見方をしているのかが伝わってきた。
それはつまり、20代の一般的なジャズ観だったりもするわけだ。
ということで、該当部分などをメモっておく。
彼女は16歳=7年前(2016年ぐらい)に初めてジャズの存在を知る。
つまり、それまでジャズを意識させるものが周囲にはなかったということ。
もちろん、ジャズ・オリエンテッド・ポップスのような音楽に触れていなかったかどうかはわからないし、触れていてもジャズを意識しないことはありえる。
もしくは、アメリカの地域によっては文化的にまったく途絶した環境もあることは否めない。
ただ、サマラ・ジョイの場合はニューヨークのブロンクス育ち、祖父母と父がゴスペル・シンガーであることを考えると、ジャズ的なものが周囲に存在しなかったとは考えにくい。
むしろ、興味を示す対象ではなかったと、その年代の指向を表わす発言と取るべきだろう。
ちなみに、彼女の両親は1960年代生まれ。ボクと同世代じゃん!?
「どこかへ連れていかれるような感覚」「懐かしさ」「居心地の良さ」という感想も、リアルタイム感の欠如を表すものと言えるだろう。
ただ、その違和感を“良い印象”として語っている点は、マーケティング的に要注目。
「ジャズって、今でこそ『年寄りの音楽』だなんて言われることもあるけど」←あ~、言われてるんだ(笑)
「もともとは若者の音楽」と、ビバップ発祥のエピソードを引用して擁護しているあたりは、さすが「若いリスナーにジャズの魅力を伝えること、それと同時に伝統を引き継いでいくこと。そうした役割を担っていることもわかっている」という、プロ意識の賜物だろうか。
ただ、そうした意識は彼女の才能を邪魔するものでしかないものでもあるため、気にしなくてもいいのにとも思ったりする。
ジャズを「自分のなかに入っていく音楽」と感じているところも興味深い。
あえて比較すれば、ほかのジャンルの(彼女の年代がよく聴く/好んで聴くような)音楽が“表層的”であると感じている、あるいは音楽に対してそう対応するものであると思っていたことをうかがわせる発言。
確かに、人格の境界を超えてくるような印象を与える音楽、というのがジャズをジャズたらしめているコアなのかもしれない。