マリア・シュナイダー・オーケストラ結成30周年記念3枚組LPがなかなかスゴいことになっていますよ

マリア・シュナイダー・オーケストラが30周年記念なんだそうです。

で、それを記念して、マリア・シュナイダーさんがこれまでリリースした8枚のアルバムからお気に入りをピックアップして3枚組のLPセットにして売り出すというもの。

しかも、例によって一般販売ではなく、今回はクラファンでの提供となるもよう。

最も高額なリターンは、150万円近くでどうやらプロデューサーとして名を刻んでもらえるらしいです。もう売り切れてますが。

アルバム自体は12月29日に応援者に届けられるそうです。

いちばん安いコースで2万円。。。

欲しい方はお早めに。

宮古島出身のジャズシンガーの齋藤悌子さんのインタビューは沖縄の戦後とジャズの生きた証言が詰まっていた[ニュース拾い読み]

87歳でステージに立つ齋藤悌子さんを取材したニュース。多分、ニュース番組のコーナー特集かなんかが元ネタで、それを書き起こしたものだと思います。

「ダニーボーイ」のエピソードが刺さります。

同様の話は、朝鮮戦争からベトナム戦争にかけて戦略的に日本に残されていた米軍基地の周辺に残っているようです。

ジャズと戦争、実は縁浅からぬ関係だったと、改めて思い知らされます。

JR浜松駅新幹線コンコース大展示場でフルコンサートピアノ展示[ニュース拾い読み]

取材でJR浜松駅を使うので、新幹線コンコースにはなじみがあります。

なんだか不思議な空間だなあと思って通り過ぎていたのですが、世界的な音楽コンクールの概要の展示なんかがあったりと、おもしろいと感じた記憶があります。

来年(2024年)の6月いっぱいまで展示されるのは、「Shigeru KawaiフルコンサートピアノSK-EX」や関連動画、写真パネルなど。

改札近くにはカワイの誰でも弾くことのできるピアノも置いてあったと思うんですが、あれはどうなるのかな?

次に浜松に行く機会があったら、見てきましょう。

コペルニクス的転回でアリア無しのオペラは息を吹き返せるのか⁈

オペラはアリアが聴きどころ、とボクも思っていたけれど、確かにこの発想はおもしろいかも。

オペラとしてパッケージされた(つまり「成立した」)時代とは観劇の感覚が変化していることを考えると、このような演出のアレンジはあってしかるべきかもしれない。

アリアはアリアだけで独唱会を開催するとか、アリア無しのオペラのPVで動画に仕立てるとか。

アリアに興味をもってアリア無しのオペラを観に行っても、現代では違和感はないのでは?

物足りないと思った人には、物販でアリアのCDを売れば良いと思うし。

ジャズピアニストとしてのデビューから6年、活動の場を広げる甲田まひるさんのインタビュー記事[ニュース拾い読み]

甲田まひるさんのインタビュー記事がおもしろかったのでメモ。

安室奈美恵さんとかアリアナ・グランデさんとかロールモデルはいるんですけど。

ファッショニスタとしての実績を考えれば、マーケットに受け容れられるかではなく、マーケットを作るということに注力されてもおもしろいのではないか、と。

アジアやヨーロッパという活動の場もあるのではないかと思います。

静岡・楽団の楽器水浸し事故の続報

2022年9月に起きた静岡・裾野市市民文化センターで発生したスプリンクラー誤作動による楽団員の楽器水浸し事故について、は、当ブログでも取り上げました。

その補償についてはすったもんだしていたようなのですが、進展があったようです。

事故調査委員会は「原因を特定できなかった」と結論づけましたが、裾野市の村田悠市長は楽団に対し和解金を支払うために協議を申し入れる考えを明らかにしました。

これまで裾野市側は過失を認めない姿勢を取り続けていたようで、事故調査委員会が「原因不明」としたことで幕引きになるかと思われましたが、急遽、市長が非を認めるかたちで和解を進めるということになったようです。

これが解決ではなく、どのように和解案を固めていくのかも注視していく必要があります。

ホールというハコモノの運営と文化創造の姿勢の関係性についての重大な案件だと思いますので、また続報を追っていきたいと思います。

東京・上野で散歩しながら音のパブリックアートを楽しんでみた話

4月の、桜が終わったころの話で申し訳ないのですが、音のパブリックアートを実施しているというニュースを耳にして、体験してみました。

専用の無料アプリを使って、GPSと連動した狭いエリアのなかで、アーティストが作成した音楽を受信するという試み。

やってみたところ、なかなかおもしろかったです。

風景と音楽のマッチングは、ドライブとカーステ、ウオークマンとなどなど、これまでもないわけではなかったものの、アートとして指定スポットで「音楽と出逢う」というコンセプトが新しかったかな、と。

選曲(というかサウンドメイク)はエレン・リードさんによるもので、その意味では聴き手の自由度がなく、美術作品として「鑑賞する」というアプローチになります。

ただ、エリアを歩き回っていると、シームレスに音が変化していくので、バーチャルとリアルが混濁していく体験ができるのがおもしろかった。

とりあえず来年(2024年)の3月ぐらいまで続けられるそうなので、また上野に行ったらアプリを起動してみます。

23歳のジャズへのイメージは断絶or包摂!?[ニュース拾い読み]

話題になっているジャズ界のニュー・カマー、サマラ・ジョイ。

彼女のインタヴュー記事を読んでいたら、ジャズに対してどんな見方をしているのかが伝わってきた。

それはつまり、20代の一般的なジャズ観だったりもするわけだ。

ということで、該当部分などをメモっておく。

彼女は16歳=7年前(2016年ぐらい)に初めてジャズの存在を知る。

つまり、それまでジャズを意識させるものが周囲にはなかったということ。

もちろん、ジャズ・オリエンテッド・ポップスのような音楽に触れていなかったかどうかはわからないし、触れていてもジャズを意識しないことはありえる。

もしくは、アメリカの地域によっては文化的にまったく途絶した環境もあることは否めない。

ただ、サマラ・ジョイの場合はニューヨークのブロンクス育ち、祖父母と父がゴスペル・シンガーであることを考えると、ジャズ的なものが周囲に存在しなかったとは考えにくい。

むしろ、興味を示す対象ではなかったと、その年代の指向を表わす発言と取るべきだろう。

ちなみに、彼女の両親は1960年代生まれ。ボクと同世代じゃん!?

「どこかへ連れていかれるような感覚」「懐かしさ」「居心地の良さ」という感想も、リアルタイム感の欠如を表すものと言えるだろう。

ただ、その違和感を“良い印象”として語っている点は、マーケティング的に要注目。

「ジャズって、今でこそ『年寄りの音楽』だなんて言われることもあるけど」←あ~、言われてるんだ(笑)

「もともとは若者の音楽」と、ビバップ発祥のエピソードを引用して擁護しているあたりは、さすが「若いリスナーにジャズの魅力を伝えること、それと同時に伝統を引き継いでいくこと。そうした役割を担っていることもわかっている」という、プロ意識の賜物だろうか。

ただ、そうした意識は彼女の才能を邪魔するものでしかないものでもあるため、気にしなくてもいいのにとも思ったりする。

ジャズを「自分のなかに入っていく音楽」と感じているところも興味深い。

あえて比較すれば、ほかのジャンルの(彼女の年代がよく聴く/好んで聴くような)音楽が“表層的”であると感じている、あるいは音楽に対してそう対応するものであると思っていたことをうかがわせる発言。

確かに、人格の境界を超えてくるような印象を与える音楽、というのがジャズをジャズたらしめているコアなのかもしれない。

ヤマハで買い取りによる楽器リュース促進[ニュース拾い読み]

ヤマハミュージックジャパンの「楽器の未来プロジェクト」サービスを紹介する記事が目に止まった。

使わなくなった楽器を買い取って、調整やメンテを施してからレンタル品として提供するというサービス。

ヤマハ製以外は買い取ってくれないので注意。

現在はヤマハミュージックの1店舗(礼幌、旭川、函館、仙台、郡山、横浜、名古屋、大阪なんば、神戸、岡山、広島)で実施。

宅配や出張での買い取りは不可。

2023年9月までに14店舗展開予定。

木管楽器の品薄高騰の話題をアベプラで知ったけれど、こうした取り組みはSDGsの範疇だけでなく、実経済の流通の問題としても注目されて広がっていくのではないかと思う。

私事だが、かつて購入した外国製の金管楽器を使用2年ほどで新大久保の楽器店へ買却。20年以上前の話だが、割と高査定でビックリした記憶がある。

カメラ類を処分したときも減価が少ないことに驚いたが、日本では吹奏楽人口が100万人と言われ、音楽に親しむための裾野を広げてくれたりしていることも考えると、高額な道具である楽器が入手しやすくなるだけでなく、1つの楽器が長く大切に使われていく環境を支えていくことも、音楽教育として重要になるんじゃないかな、と思ったニュースだった。

バスキアのチャーリー・パーカーへのオマージュ作品「Now’s the Time」がオークション・デビュー

ジャズを自分の表現に取り込んだことでも知られる現代アート作家のバスキア。

彼がチャーリー・パーカーのアルバム『Now’s the Time』のレコード盤を再現した同名の作品が、「5月18日にサザビーズ・ニューヨークで行われるイヴニングセールに出品される」というニュース。

バスキアはその半生が映画化もされ、評価もかなり高まることが予想される。

パーカーへのオマージュではあるものの、人種差別への抵抗を表明するためのキーワードとしてパーカーのアルバム・タイトルを使ったという面が強く、音楽自体と作品が結びついているとは言えない(アナログ盤を模した形状という共通性は見せているが)。

いずれにしても注目度は高まるはずなので、続報を待ちたいと思います。