“音楽と踊りと描画”という人類の創作活動における根幹を再現する刺激的なステージを堪能してきた #ジャズ #jazz

有楽町駅を通り越して上野で下車したボクは、東京文化会館小ホールで楽しみにしていたステージの開演を待っていた。

“有楽町駅を通り越して”とわざわざ書いたのは…

東京JAZZという一大イヴェントが開催されていて、このところ会う人ごとに「行かないんですか?」と聞かれたりするから。

別にヘソを曲げているわけではなく、以前は取材もさせていただいていたが、FAX回線を廃止してしまってからなぜか情報が送られてこなくなってしまった。

まあ、いいや。

閑話休題。

1970年代の、フリー・ジャズを遥かに逸脱した即興芸術に携わっている人たちのことについては、ボクの世代では伝聞で知ることが多く、実際に遭遇したことは数える程しかない。

その数える程のものも、ちゃんとしていたのは梅津和時さんが書道家の人とコラボレーションしているワークショップのようなものぐらいで、あとは新宿の地下の酒場でたまたま暗黒舞踏の一派(たぶん山海塾だったと思う)の打ち上げに遭遇してしまい、ボクらが飲んでいるすぐ隣のテーブルの上に乗った人々が踊り出すという乱痴気騒ぎだったりするので、衝撃度は高いが資料としてはいかがなものかという感じなのである。

もちろん、渋さ知らズはこうした総合即興芸術の延長線上にあるものとして認識はしているが、温度差を感じざるを得ないというのが正直なところだ。

正直言って、予習は多少してみたものの、土取利行さんがどんなステージをやろうとしているかなんて、想像できるはずがないよと諦め半分だった。

会場に入ると、ステージにはおそらく和紙だと思われる長い反物状のものに色とりどりの絵の具様のものがペインティングされている。

これはサルドノさんが制作したもので、彼はパフォーマンス後のトーク・セッションで「東日本大震災の映像を何度もメディアで見ているうちに、どんどん長いものにペインティングするようになった」と、その創作活動に日本が受けた津波被害の影響があることを語っていた。彼の出身地であるジャワでも2004年12月26日にスマトラ島沖大地震による津波で大きな被害を受け、アチェはフクシマと共振するキーワードになっていたことが引き金だったようだ。

サルドノさんは前日のおそらくリハーサルで、背景に飾ったこれらのペインティングを開演と同時に吊り上げるという動作を入れることを思いつき、実際に本番はそのアクションが加えられていた。これは津波をイメージした即興の表現で、こうした即興的な変更がどうやら本番中にも随所であったようだ。

土取利行さんは、ステージにパーカッションの一式が用意されたスペースがあったものの、三味線を抱えて登場したり、笛を吹きながら客席を歩き回ったりと、存分にマルチ・パフォーマーとしての驚きを振り撒いて、ときには緊張感を高め、ときにはリラクゼーション効果を漂わせるなど、魔術師のように空気の色を変化させていたことが印象的だった。

表向きのレポートはヤマハのWebのコラムなどでまとめたいと思っているが、とりあえず印象を書き留めておく。