コミュニケーションで必要なのは「叱り」ではなく「褒め」

photo by greg westfall.

 

人を育てるときに褒めればいいのか叱ることも大切なのか。

そんなことを考えさせる記事に注目。

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叱責で「やる気失う」部下56% 上司89%「育成」 生産性本部調査、意識に差

経営者や学識者でつくる日本生産性本部が国内企業に実施した調査によると、しかることが部下の「育成につながる」と答えた課長級が89%に達したのに対し、部下である一般社員は56%がしかられると「やる気を失う」と回答した。叱責の効果に対する上司と部下の意識の差は大きく、熱血指導は必ずしも「やる気アップ」にはつながっていないようだ。

調査は首都圏を中心とする企業の課長級300人と係長以下の一般社員539人に実施した。「褒め」についても双方の認識に差があり、「部下を褒める」と答えた課長級は80%に上ったのに対し、「上司が褒めてくれる」と答えた一般社員は51%にとどまった。上司が褒めたつもりでも、部下はそう受け取っていないケースが多いようだ。

73%の課長級が「部下や後輩の育成を面倒には感じない」と回答する一方、56%が部下や後輩の育成に「自信がない」と回答した。積極的に部下の育成に取り組むものの、正しい指導法なのかについて上司も頭を悩ませている姿が浮き彫りになった。

 

 

叱責で「やる気失う」部下56% 上司89%「育成」 :日本経済新聞

 

 

 

 

個人的には、叱られた体験がとても勉強になったとは思うけれど、考えてみれば「自分に対して叱ってもいいと自分が許した人」であることが前提になっている。

 

つまり、そういう人から叱られたくないという心の動きがプラスに作用するだけの話で、たぶんその人から褒められた方がもっと効果があるということになるのだろう。

 

逆に、自分が認めていない人に叱られるのはマイナスの効果しか生まない。たぶん、叱られたことの99%は忘れるか無視しているという回避行動をとっているのだろう。だから覚えていないので、叱られたことが役に立つとも役に立たなかったともカウントされていないというわけだ。

 

コミュニケーションの基本は相手と気持ちを通じ合わせること。であれば、相手が不愉快に感じる要素は阻害こそすれ有功に働くとは思えない。

 

喝を入れるという意味での「愛の鞭」であれば、使い方を謝らなければという条件付きで効果も期待できるかもしれないが、リスクは大きいし、適用場面を常に検証する必要があることを考えると、そこまでしてとる手段なのかという気がする。

 

一方の「褒めて伸ばす」は、相手のゴムを伸ばしすぎないようにという注意も 、基本的にその修正も含めて自分が調整できるぶんだけ、リスクが少ないと思われる。

 

評論の、貶すと褒めるにもこの考え方が通じると思う。