〔追悼〕2010年夏_ルー・ソロフ『スケッチ・オブ・スペイン〜マイルス・デイビス&ギル・エヴァンスに捧ぐ〜』インタビュー

 

ルー・ソロフさんが亡くなられました。

 

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ボクが彼にインタビュー取材をしたのが2010年の夏のこと。

 

絶好の機会だったので、ギル・エヴァンスの伝記を持ち込んで、根掘り葉掘りと昔のことを聞いてみた。

 

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プロモーションのためにインタビューに答えてくれる人のなかには、関係のない話題だと露骨に嫌な顔をすることがあったりする。

 

ご機嫌を損ねたらすぐに引き上げようと思っていたら、彼は懐かしそうにいろいろと話をしてくれた。

それで、とても思い出深いインタビューになった。

 

「ジャズライフ」誌に掲載した原稿を追悼のためにここに再掲したい。

 


 

 

マイルスを継いだ巨人が再現する

ギル・エヴァンスの残した超魔術

 

ジャズ史に燦然と輝くオーケストラの名作『スケッチ・オブ・スペイン』が完全な形で21世紀のいまに蘇った。その中心には、名作を世に送り出したギル・エヴァンスの“右腕”として活躍し、ジャズ・オーケストラの最前線を走り続ける男の姿があった。その男、ルー・ソロフに、奇才と讃えられたギルの想い出や、名作再演にまつわる所感などを語ってもらった。

 

魔法使いがいたオケとの出会い

 

  •  ルー・ソロフさんとギル・エヴァンスの出会いは、レコーディングとしては1974年の『プレイズ・ジミ・ヘンドリックス』からとなっているようなのですが、1966年にはすでにギルのオーケストラに参加していたそうですね。

 

ルー・ソロフ(LS) そのとおり。ディスコグラフィー上は74年からだけど、ギルと一緒に演奏するようになったのは66年からだ。68年から73年まではブラッド・スウェット&ティアーズ(BS&T)のツアーで忙しかったから、あまり彼のオーケストラに参加できずにいたけれど、それでもたまには一緒に演奏していたんだよ。でも、73年からは本格的に彼のオーケストラで演奏するようになったんだ。

 

  • 1966年にギル・エヴァンスと一緒に演奏するようになったのは、どんなことがきっかけだったのですか?

 

LS 彼がトランペット・プレイヤーを探していたんだよ。ハワード・ジョンソンが私を紹介してくれたんだ。ギルは、トランペットとリード楽器の両方を演奏できるプレイヤーを探していたんだけど、当時はあまりそういう人材がいなかった。それで私に白羽の矢が立った、というわけなんだ。

 

  • そのときは何歳だったんですか?

 

LS えーと、22歳になったころだったかなぁ……。

 

  • なにをしていたのですか?

 

LS ちょうどイーストマン音楽院を卒業したころだね。ジュリアード音楽院の予備校に通っていたんだけど、プロのバンドの仕事もやるようになっていた。ジョー・ヘンダーソンやケニー・ドーハム、マチート、メイナード・ファーガソン、ハワード・マギーなんかのビッグバンドの仕事だったけどね。結局はそっちのほうがおもしろくなって、ジュリアードには行かなくなっちゃったけど(笑)。それで、ハワード・ジョンソンとよく一緒に仕事をするようになって、彼から「ギルがメンバーを探しているんだ」という話を聞いたんだよ。ギルのところへ行った最初のリハーサルでは、ドラマーがサニー・マレーで、トランペットはジョニー・コールズだったことを覚えているよ。そうそう、ビリー・ハーパーもいたね。

 

  • リハーサルに顔を出していただけだったんですか?

 

LS コンサートも何回か出演したよ。最初のころで覚えているのは、ホイットニー・ミュージアム・オブ・アートでやったことかな。ギタリストのジョー・ベックや、ジミー・クリーブランドがメンバーにいたっけ。

 

  • BS&Tのツアー・メンバーであったときにもギル・エヴァンス・オーケストラに参加していたとのことですが、忙しいのになぜそうまでしてギルの活動に参加しようとしていたのですか?

 

LS BS&Tの仕事はとてもすばらしいものだったといまでも思っているし、ポピュラー音楽の世界で貴重な経験を積ませてもらったと感謝しているよ。私の名前をみんなに知ってもらえるきっかけにもなったしね。でも、音楽的な面では、創造的な自由というものは、正直に言って、望めなかったからね。そういう意味で、音楽的な私の欲求を満たしてくれたのが、ギルとのセッションというわけなんだ。彼とのセッションは、すべての意味において“フリー”だった。そして彼は、誰からも尊敬されていた。彼がどれくらい尊敬されたかは、人それぞれに言い方が違うだろうけれど、たとえば私の場合ならこんなエピソードが相応しいかな。私のレコーディングのときにプロデューサーから「この部分はカットしよう」と提案されて、それに納得できないことがあったんだけど、「じゃあギルに聞いてみよう」ということになった。それでギルに聞いたら、「それはカットしたほうがいいよ」と言ったから、私は即座に「カットする」と言ったんだ(笑)。それくらい、ギルはジャズの音楽家たちにとって、絶対的といってもいいほどの影響力をもち、尊敬を集める存在だったんだよ。彼はまさにWizard(魔法使い)なんだ。マイルス・デイヴィスも、スタジオに入るときは必ずギルを呼ぶようにしていたよね。ギルはマイルスにとって、アドバイザーでありプロデューサーでありコンポーザーでもあったということになるだろうね。私もギルに同じようなことを求めていたと思う。でもギルは、同席していたからといっても、口うるさくなにかを主張するようなことはまったくなかったよ。なのに、重要なポイントになると、ポツンとなにかを言ってくれるんだ。それがまた、全員を納得させるだけの重みのある言葉だったりするんだよ。すごいだろ? まさに魔法使い、なんだよ(笑)。

 

名作には謎がいっぱい?!

 

  • ルー・ソロフさん自身としては、なにかギル・エヴァンスの活動を引き継いでいこうという構想はあったのですか?

 

LS 僕の名義で『リトル・ウィング』(1991年)というトリビュート・アルバムを作っている。ギルが亡くなった後に録音したものだ。それから、ライヴではよく「ゴーン」や「ブギー・ストップ・シャッフル」「プリステフ」といったギル・エヴァンス・オーケストラでおなじみだった曲を演っているよ。僕が参加しているマンハッタン・ブラス・クィンテットでも「イレヴン」や「リトル・ウィング」を取り上げている。マンハッタン・ブラス・クィンテットではまだギルのレパートリーをレコーディングをしていないけれど、とてもよいバンドで、ギルが残してくれた“音楽”を誠実に受け継いでいるバンドのひとつだと思うよ。

 

  • 『スケッチ・オブ・スペイン』の制作は、なにがきっかけで始まったのですか?

 

LS バーニー・グロウという、ギルがマイルスとやったオリジナルの『スケッチ・オブ・スペイン』に参加しているトランペット奏者がいて、彼はもう亡くなってしまったんだけど、家族ぐるみの付き合いをしていたんだ。そのバーニー・グロウの友人から「やらないか?」って電話がかかってきたんだよ。僕はもちろんすぐに「オーケー!」って返事をしたよ。彼の名前はスティーヴ・リッチマン、今回のオーケストラをまとめて、プロデューサーとしてもがんばってくれた人物なんだ。

 

  • 『スケッチ・オブ・スペイン』をやろうという話は、ルー・ソロフさんにとって昔の名作を再現する“懐かしさ”を感じるものだったのか、チャレンジ魂に火をつけられるような“新たな”ものだったのか、どちらでしょう?

 

LS 実は、私自身はなんでみんながこんなに『スケッチ・オブ・スペイン』というアルバムを特別視するのか、よくわからなかったんだよ(笑)。『ポーギーとベス』なら、私のお気に入りの曲がたくさん入っているから理解できるんだけど……。でも、改めて今回、このアルバムを聴き直していろいろと分析してみるうちに、その理由が理解できるようになってきたんだ。ギルの音楽に挑戦するということは、楽しいことでもあるし、一方でとても厳しく辛いことでもある、ということも含めてね(笑)。ただ、ギルの音楽を伝えていかなければならないという想いは僕だけじゃなくて多くの音楽家のなかにもあるし、そのニーズが高まっているんだけれど、残念ながらほんの数人を除いて、ギルやマイルスの残した音楽というものは、単にエミュレート(模倣)するだけの演奏になってしまうことが多いんだよ。だからこそ、そうならないようなものを作らなければいけないと思っていたんだ。

 

  • このアルバムは、ポピュラー音楽のオーケーストレーションにとって、どのような影響を与えるものだと考えていますか?

 

LS それについては、私からはなんとも言えないね。とくにこの『スケッチ・オブ・スペイン』については、オリジナルであるギルの評価が確立されているからね。この新しい『スケッチ・オブ・スペイン』を聴いて、「なんだ、リメイクか……」とか、あれだけの高い完成度のある作品がすでにあるのに無謀な試みだとか、いろいろ批判する人もいるだろうけれど、前向きにとらえてもらえるのなら、新しい発見をしてもらえると思うよ。ミュージシャンとしては、過去の評価に縛られずに、常に現在を演奏していかなければならないからね。だから、必要以上に神聖視したり、逆に無視したりすることなく、もっとみんなでギルの残してくれた遺産を演奏するべきだし、そのことを楽しんでもいいんじゃないかと思うんだよ。そういう意味では、『スケッチ・オブ・スペイン』という作品自体を、ベートーベンのシンフォニーと同じように扱ってもいいんじゃないかと思っているんだ(笑)。

 

  • つまり、『スケッチ・オブ・スペイン』とは、それほどの、オーケストレーションの教科書としてみんなが学ぶべき、そして愛すべき作品である、ということでしょうか?

 

LS そのとおり。まさにオーケストレーションの“見本”として取り上げるべき作品だと思うね。ジャズにおいては、デューク・エリントンの作品と同じように、ギル・エヴァンスのすべての作品は、後世に残らず伝えるべき偉大な遺産なんだよ。

 

  • とても貴重なエピソードを話していただいて、きょうはありがとうございました。

 

LS こちらこそありがとう! きょうは私がもっとも尊敬しているギル・エヴァンスのことについて、いろいろと話をすることができて、とてもうれしかったよ(笑)。

 

(インタビュー・まとめ:富澤えいち、2010年6月)