音楽という自由な表現文化の大切さをアフガニスタンの現状から学ぶ

2001年にアフガニスタンのタリバン政権が倒され、アフガニスタン・イスラム共和国を樹立。

イスラム教の厳格かつ狭量な教義の押し付けが緩んだと思ったのも束の間。2021年8月に再びタリバンが政権の座につくことで、文化を含めてアフガニスタンのさまざまな文化的活動は停滞を余儀なくされている。

この「クーリエ・ジャポン」の記事は、そうした変化の近況を伝えている。

取材の対象となっているのは、アフガニスタン北部出身の49歳の歌手、ファルハーンさん。

彼は、地元でイベントがあるとアフガニスタンの伝統的な楽器であるドンブラで民族音楽を演奏する、引っ張りだこの音楽家だったという。

2年前、タリバンが町に近づくと、彼の家の電話やSNSには非難のメッセージが届くようになった。

身の危険を察した彼は、楽器を野原に埋める。これが馬鹿げた行為でなかったことは、同業者の民謡歌手ファワード・アンダラビがタリバン政権樹立後まもなく虐殺されてしまったことからもわかるだろう。

音楽はアフガニスタンにとって生活の必需とも言うべきものだったが、それがまた、失われる事態になってしまったのだ。

2014年設立にされたアフガニスタンの芸術を復興させるための共同体「アートローズ」の設立者のひとりであるオマイド・シャリーフィーは、タリバンが音楽や芸術を抑圧する理由は、音楽や芸術が持つ「考え方を変える力」に対する嫌悪するからだと分析している。

「芸術は、人々に変化の兆しを与えます。それにより、人々は批判的に考えることができるようになり、疑問を発することができるようになります。タリバンはこれを恐れているのです。しかし何より、芸術や音楽の力は人々に希望をもたらしてくれます。希望があれば、自分自身やコミュニティ、環境を変えようとするでしょう。これこそが、タリバンが本当に恐れていることです」

https://courrier.jp/news/archives/337926/

このことは、裏を返せば「音楽を相手にするいうことは『考える』ということ」を意味する。

音楽が体制の意に沿わせるツールとして利用してきたことも歴史的な事実。

その強大な影響力をタリバン政権が反面教師としたとしても無理はないのかもしれない。利用する努力や工夫よりも排除、という明快な理論だ。

だからこそ、“音楽を武器に”なんていう野暮な考えは捨てて、自由を語り継ぐための手段としての音楽の大切さを忘れないようにしたいと思う。

“俵山昌之の遺産”をJジャズの遺産として分割共有するために

ベーシストの俵山昌之さんが2020年6月に亡くなって、追悼という言葉では言い表わせないフォローがJジャズのシーンで続けられています。

声かけ役として前面に立っているのは、五十嵐一生さん。

こうした活動を立ち上げたいというお話を聞いてから、さて私になにができるのかと考えているうちに、時は過ぎてしまいました。

せめて、こうした活動を続けておられることを、知っていただけるようにと駄文をアップしております。

動画がシッカリと作り込んであって、見ごたえあります。