富澤えいちの執筆担当記事の紹介です。
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ボクが初めて渋谷毅さんとご挨拶させていただいたのは、2001年3月7日のことでした。いや、7日は渋谷さんがそれどころの状態ではなく、8日だったというのが正確なところです。
場所は、東京・信濃町にあったソニー信濃町スタジオ。閉鎖が決まっていたこのスタジオで、森山威男さんと渋谷毅さんのデュオのレコーディングがあり、それを観に来ませんかというお誘いに乗って出かけた、ということでした。
当時、ボクはソニー信濃町スタジオのすぐ近くに住んでいて、2日間のレコーディングを取材するでもなくただ眺めるだけという感じて、その場に張り付いていました。
そのレコーディングは『しーそー』というアルバムになり、2日目の余った時間で収録された渋谷さんのソロは『アフタヌーン』というソロアルバムになりました。『アフタヌーン』のレコーディングに立ち会ったメディア関係者はボクだけだったので、このアルバムのライナーノーツはボクが書かせていただくことになりました。
初日、実はほとんどオーケー・テイクを録ることができませんでした。渋谷さんがピアノの音、具体的には調律に納得できず、途中で止めてしまうからでした。
おそらく、森山さんの出す倍音がスタジオのピアノと合わないということを感じ取って、ダメ出しをしていたのではないか、と傍目にはそう見えました。
翌日、少し遅れてスタジオへ行くと、昨日とは打って変わってスムーズにレコーディングが進んでいるとのこと。調律を「ちょっと変えてみた」というプロデューサーの言葉に、そんなことってあるのか? と驚いたことを覚えています。
今回、“ピアノを鳴らすピアニスト”という視点に気づかせてくれたのが、渋谷さんのカーラ・ブレイさん評だったと思います。
そのへんを踏まえて、アルバム・レヴューを書きました。
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