伝統と創造の狭間をすり抜けようとしている日本映画の現在(とジャズ)

JBプレス掲載、ビデオジャーナリストの長野光による記事。

ここに”ハスミスクール”というキーワードが出てくる。

映画評論家の蓮實重彦(文芸評論家にしてフランス文学者・小説家)が1970、年代に立教大学一般教育部非常勤講師を務めていた時代の「映画表現論」という講義に端を発し、黒沢清青山真治、周防正行、万田邦敏、塩田明彦といった映画監督を輩出し、1975年からの東京大学での映画論ゼミでも中田秀夫、豊島圭介らを送り出したことを指して例えた言葉だ。

記事は、批評家の佐々木敦へのインタヴューとしてまとめられているが、2020年に他界したゴダールと青山真治を端緒に、巨星が壁ちてしまった今後の期待を濱口竜介に託す話の流れから、前述のハスミスクールが出てくる。

ハスミスクールにとっての重要な条件にシネフィルがあり、それを全うしなければハスミスクールの門はくぐれないとされているものだ。

シネフィルというのは「映画を死ぬほどたくさん見ていて、過去の映画に対する膨大な知識や分析を踏まえて自分の映画を撮る」という方法論を表わした言葉のようだ。

おそらく1970年代当時のポスト・ヌーヴェルヴァーグにおいて、映画の基礎的な知識も歴史も知らぬまま自身の感覚だけを頼りに映像を創ろうとする風潮に警鐘を鳴らす意味で、ハスミスクールが提唱することになったものだろう。

記事でも「公開されている小津安二郎の映画で1本でも見ていないものがあったらもう小津安二郎については語っちゃダメ」というシネフィルの“掟”を佐々木が引用している。

もちろんそれは目的ではなく あくまでも共有することによって生まれるはずの、世界をより広く大きなものにするための手段にすぎないはずだ。

ちなみに、シネフィルの風潮は1980年代のミニシアター文化を支える基盤となり、エンタテインメント化(あるいは軽桃浮薄化)によってポピュラライズしようとしていた流れと対立するようになる。

その後、「こんな感覚を共有できる人はどんどん減っている」という佐々木数の指摘が現状になる。

なお、蓮實重彦は「ごく普通に映画を見ていただきたい」(『見るレッスン 映画史特別講義』光文社新書、2020年12月刊)と、シネフィルの“掟”に関する齟齬をやんわりと修正している。

記事でも、「そういった歴史も教育のなかで残していく努力をする必要はあると思いますが、シネフィルの感覚から外れた世界でも日本の映画が成長していかなければならない」として、「濱口竜介君の映画は明らかにシネフィル的な作り方をしているけれど、そうでない人もちゃんと受容して感動できる作りになっている」から、映画「ドライブ・マイ・カー」はアカデミー賞に輝き、彼こそがマーベルを撮るべきと持論を展開していくところがハスミスケールっぽくもあり、興味深い。

後半は、映画におけるポリコレの波について触れ、「濱口竜介監督や深田晃司監督は日本の映画界でも良きポリティカル・コレクトネスを内面化して映画を撮るということをすごく自覚的にやっている人たち」とする佐々木敦に対して、長野光が表現に対する窮屈さを指摘。

佐々木は「悪を見えないようにする風潮があり、悪を描くことか悪であると受け取られる危険はあるかもしれない」と答える。

まとめ

大衆化と文化創造のジレンマに直面してきた歴史は、映画とジャズに共通する背景だと感じている。

シネフィルのような風潮は、ジャスで言えば1980年代の新伝承涙”と名付けられたビバップ~ハード・パップへの回帰運動に当たる。

そして現在、ロバート・グラスパーらの活動、つまり「ジャズの歴史を網羅したうえで、その過程を経ずに耳にする人にもちゃんと受容して感動できる作り」というものが、それに近いのではないだろうか。

ただそれが、より感覚的に支配されやすい音楽の場合、指標と言える地点にまで行き着けるのか──という不安があるというのが正直などころなのだが。(このテーマ続く)