信州・上田を訪ねて戦後の東京で活躍した唐澤淑郎さんに話を聞いてきた

話は今年の正月から始まる。

3が日にカミさんの実家へ遊びに行っていたとき、携帯電話が鳴った。表示を見ると見覚えのない番号。まあ、正月だし営業電話でもないだろうと出てみると、昔からの知り合いからだった。

正月の挨拶かと思ったら、「いま信州に旅行に来ているんだけど、おもしろい人に会ったんだよ」という不思議な話をし始めた。

 

姥捨を歩いてしなの鉄道の屋代近くまで出てきたら、喫茶店があったので入ったのだが、そこはジャズ喫茶という看板が出ていて…

 

入って休んでいると、マスターが80歳過ぎで、昔東京でジャズ・ミュージシャンをやっていたという話になったのだそうだ。

その話を聞いた彼は、そういうジャズの話だったらボクがもっとよく知っているのではないかと、その場で電話をかけてきた、というわけだ。

しかし、ボクはそのとき電話口で耳にした名前に心当たりはなく、別に人なのではないかと思ったりしていたぐらいだった。

翌週、再び彼から電話があって、どうもすごい人のようだから、もっと話を聞きたい、ついては一緒に行ってみないかと誘いがあった。

まあ、こういう話には乗ってみるもんだと思っているので、その人の名前を聞いて、ネットで調べたが、やはり情報がほとんどつかめない。

かろうじて数年前に傘寿すなわち80歳の記念コンサートを地元でかなり大々的にやっていたということがわかったほか、商工会かなにかのページで取材していたサイトを見つけたので、彼に送ると、折り返し「2月下旬か3月頭ぐらいに行こう」というお誘い。

新幹線代は払ってあげるよというありがたい申し出を受けて、その日を迎えることになった。

 

誘ってくれた今回の首謀者が鳩ヶ谷に住んでいるため、大宮で待ち合わせとなった。8時半に大宮駅改札でということで、ボクが磯子を出たのは7時前。

 

長野新幹線で上田までは1時間ちょっと。あっという間かな。車中でPCを取り出して仕事をしていたので、もうちょっと長くてもよかったぐらい(笑)。

 

上田からしなの鉄道で20分ほどの屋代で下車。

目的地に向かう途中には「あんずホール」という地元の施設があるので寄り道。ここで卒寿のコンサートを開催したという情報があったので、どのぐらいの規模なのかを見たかった。キャパは700人ほど、あとで聞いたところによると、ほぼ満員のコンサートだったそうだ。

 

千曲川にかかる橋。

歩くのに不便なほど雪は積もっていなかったが、それでも今年は多いほうだそうだ。

 

橋から姥捨方面を眺める。田毎の月という名所があるとのことだが、今回の目的はジャズなので、足を伸ばさず。

 

千曲川の中州にも雪が積もっていた。

 

稲荷山温泉は上田城の支城があったところ。

 

なので、古い蔵屋敷の街並みが残っている。

 

こんな古い看板のある建物も。

 

整備されていないようなのだが、それがまた風情を醸し出している。

 

ちょっと遠回りをしてしまったが、ようやく目的地のジャズ喫茶「風雅」が見えてきた。

屋代駅から歩いて15分ほどで到着するところ、ウロウロと1時間も歩き回ってしまった(汗)。

 

これが風雅の店の前。

この建物も歴史的建造物に指定されているので、勝手に建て替えたりできないそうだ。

 

ご挨拶をして、コーヒーをいれていただき、飲みながら話をうかがった。

ICレコーダーに収録したので別途、話の内容はまとめるつもりだが、唐澤淑郎さんが東京に出たのは昭和25年、稲荷山に戻ったのは34年なので、ボクが生まれる前の東京のジャズ・シーンを知っていることになる。

ギターを抱えて上京するとすぐにバンドの仕事に就けたほどミュージシャンの求人は多く、クラブを転々とするごとにギャラが上がったそうだ。

銀座や新橋のクラブでの仕事の様子や、当時のミュージシャンの生活、原宿に家を建てて都内を演奏して回っていたこと、横浜にもたまに遠征に来ていたとか、興味深い話がどんどん出てきた。

80歳を超えているとは思えないすばらしい記憶力で、ちょっと足を悪くされてはいるものの、至って健康のご様子。なんでも「酒もタバコもクスリもやらなかった」というのが元気の素なのかもしれない。

27歳になって将来のことを考え、故郷に帰ることを決意。そして帰った翌日から長野のグランド・キャバレーで仕事があったそうだ。以来、途切れなく地元のジャズ・シーンで活躍を続け、いまだに現役というわけなのだ。

 

途中、食事で中座したのだが、近所の食事処が生憎休憩中で戻ると、なんと食事を用意してくれた。

その顛末はこちらへ書いたとおり。

 

鳥一富澤商店 » 3/2の風雅な昼ごはん

 

 

 

喫茶店の隣にはスタジオが併設されていた。緩衝材の卵ケースを使った防音材が壁に張り巡らされ、グランド・ピアノがあって、30人ほどが座れるようになっている。月に1回ほど定期ライヴが行なわれていて、この月はちょうど前日がそうだったのだとか。

 

ピアノのほか、ベースとドラムは余裕で配置できるステージスペース。

 

ステージ側から客席を眺めるとこんな感じ。

 

「話だけじゃなんだから」と、なんと御大のピアノ演奏を披露していただいた。感激!

東京時代はギターを弾いていたのだが、途中からピアノに興味をもち、長野に帰ってからはピアノを弾き続けているそうだ。世良譲さんなどの直伝だそうなのだが、見事なスウィング感で、うーん、一杯飲みたくなってしまった(笑)。

 

スタジオにはジャズ喫茶ならではのオーディオ・セットが鎮座ましましていた。

数年前までは喫茶店のほうに設置していたのだそうだが、こちらへ移動。

これもまた、聴かせていただくことができたので感激。

 

記念にご夫婦でパチリ。奥様は東京時代に知り合って以来のおしどり夫婦。あやかりたい。

 

しなの鉄道屋代駅まで車で送ってもらうという至れり尽くせり。勝手な取材で押しかけたというのに、歓待していただき本当にありがとうございます。

駅にはストーブがあり、30分に1本ほどの電車を待つのも苦にならない。

そして日帰り取材を終了。

帰りの新幹線はけっこう混んでいて、首謀者との反省会はデッキで缶ビールを片手に行なわれた。

再訪して、さらに話をうかがう予定。