「マイルス・アヘッド」を観に行った2017年1月10日の話

1年前、「マイルス・デイヴィスの空白の5年」と言われている1970年代後半を扱った映画を観に行っていました。

 

確か、公開がそろそろ終わりそうだったので、慌てて観に行ったんだと思います。

 

こういうマイナーな映画の上映は、ロードショーと違って1日に1回きりだったりするので、時間を合わせるのがタイヘン。

この日も、午後イチの上映に合わせて、まずは腹ごしらえ。

出掛けたのは横浜西口。相鉄駅前の立ち食いそば屋さんに立ち寄りました。

 

さっとかき揚げ蕎麦を流し込んで、運河を渡った映画館へゴー。

 


 

マイルスが出迎えてくれました(笑)。

 

なんか、チケットが安かった日だったみたい。

 

映画については、和田誠監督「真夜中まで」を思い出してしまったのはボクだけかもしれないのですが(笑)。

 

 

ここのところドキュメンタリー系のジャズ映画が多かったので、こうしたアクションものの楽しめる内容はよかったですね。もっとカリカチュアライズしてもよかったんじゃないかというぐらい。だって、リアルはもっとえげつないでしょうから。

 

 

 

 


ひとりで映画を観たあとは、ひとりで反省会(笑)。

関内の焼き鳥センターを初訪問してみましたよ。

まずは名物とかになっているサワー。

 

手羽先が1本からたのめて安いっ!

と思ったらこんなんでしたわ。

でも、味はつまみ向き。

 

焼き鳥もたのんでみました。

鳥貴族よりボクの好みかも。

 

カフェに寄ったのと同じぐらいかな(笑)。

 

さぁ、カミさんに叱られないように、早く帰ろっと。

 

 

“娯楽”と“アート”の違いに関する橋口亮輔さんの指摘についてのメモ

 

映画監督の橋口亮輔氏へのロングインタビュー(「熱風」2017年1月号掲載)に興味深い発言があったので、共有したいと思います。

このインタビューで橋口氏は、宮台真司氏が橋口氏の監督作品「恋人たち」を評論したなかで、映画を観て「スカッとしたと感じるのは娯楽、観る前と後で自分が変わったと感じるのはアート」という趣旨の記述をしていることを引き合いに出していました。この指摘がとても興味深いですね。

これは「音楽」と言い換えても当てはまるのではないでしょうか。

また、作家性についてこのように表現しています。

(ヒットを出すと言うことは)儲かるか、儲からないか、カネを生むか、生まないかという判断基準のほうが、作品の質よの話より上になるだろうというのを如実に感じます。

そういうなかで長い間成功されている方は、自分のつくりたいもの、志向するものと、お客さんのニーズとが合っている幸福な作家ですよ。

作家性ばかりがとんがってしまうと、ついてこられないですからね。だからとんがって「俺はすごいことをやっている、描いているんだぞ」といくら言ってみたところで、観客がついてこられなければ、それはただの裸の王様になるわけですから。

やっぱりいつも作家が目指すのは、このとんがっているところというかな、いわゆる作家性と、ミドルグラウンドを観客と一緒に探して自分の作家性を貶めなくてもいける地点なんです。

 

エンタテインメントとアートの問題は、ジャズでも避けて通ることが出来ない問題点です。

この指摘は、ボクがこれまでモヤモヤしていた気持ちを、かなりすっきりさせてくれたものと言えます。

 

2017年6月25日に小金井の宮地楽器ホールで開催した富澤えいちのジャズ・セミナーをサマリーしましょう

そういえば、6月に武蔵小金井駅前にある宮地楽器ホール(小金井市民交流センター)スペースNってところで、セミナーを開いたんだってね?
そうなんだよ。立派なホールで、そのエントランスにあるフリー・スペースを使って、月に1回ぐらいのペースで「日曜カフェ」というイヴェントをやっているみたいなんだけど、そこからオファーがあったんだ。

おっ、これがその「日曜カフェ」のチラシだね。おや、左から2番目のイラストがオマエさんかな。似てるねぇ(笑)。
当日は梅雨時期で天気予報も悪かったんだけど、開始時刻の10時半には雨も上がっていて、20人ほどのキャパだったんだけど、ほぼ満席という感じでホッとしたよ〜。
ところで、どんな内容だったんだい?
打ち合わせでは、クラシック中心のアコースティックなホールで、「日曜カフェ」に来場する人もそういう指向の人が多いんじゃないかって。だから、ジャズが好きで話を聞きに来るというより、音楽全般に興味をもっていて、ジャズもどんなものか知りたいという人にアピールできるものがいいよね、って担当者と詰めていったんだ。それで、「ジャズと仲良くなるための五箇条」っていうテーマにしたんだよ。
具体的にはどんな感じだったの?
まず最初は自己紹介から。
幼稚園のころは泣き虫で……
そんなところから始めたら、ジャズに出逢う前で持ち時間が終わっちゃうよ(笑)。「ジャズライフ」の1982年2月号がジャズ・ライターのデビューで、『ジャズを読む事典』と『頑張らないジャズの聴き方』という2冊の本を出していますというあたりをサッとね。

 

ちゃっかりしてるなぁ。
あはは、著書は持ってきて、売ってもいいですよってお許しをいただいていたからね。しかも、売れたんだぜぇ(笑)。
そりぁ、ようござんした。
まぁ、音楽検定3級の認定済だったし、心理カウンセラー養成講座も修了してたしね。
心理カウンセラーなんて、ジャズに関係あんの?
それが、意外に反応があって、セミナーが終わってから質問を受けたりしたんだ。どんな点で心理カウンセリングに興味をもったのかって。
どう答えたの?
まぁ、それは今後の展開のお楽しみってことで(笑)。
そろそろ本編へ行こうよ。
ごめんごめん。で、五箇条の最初なんだけど、まずは「ジャズのプロフィールを知るべし」というテーマで10分ちょっとね。
プロフィール?
ようするに、簡単なジャズの歴史を知っておきましょうというわけ。19世紀半ばのアメリカ合衆国の政情から21世紀まで、約150年ぐらいを10分ちょっとでまとめるから、まぁ乱暴っちゃぁ乱暴だけど。
どこがポイントなの?
南北戦争と公民権運動、そして建国200年記念というのがキーワードです、って。
確かに、ジャズって単独で成立、発展してきたわけじゃなくて、政治的な動きに連動した部分があるからね。
2つめは、「ジャズの専門用語を知るべし」ということで、理解を深めるにはまず共通言語をもつことが必要だからね。ジャズ独特の編成の呼び方とかスタイルについて、代表的ないくつかの用語を簡単に解説した。
トリオとは何人でどんな楽器が多くてとか、ビバップとはいつ頃のこんな感じのジャズでとか?
そうそう。で、その次の10分ぐらいでキーパーソンを楽器ごとに簡単に紹介。
ふ〜ん。
4つめは、あんまり総花的だと漠然としすぎちゃうから、デュオの楽しみをかいつまんで解説しましょうということにしたんだ。
なぜまたデュオ?
実は、このホールで「日曜カフェ」のすぐあとに、塩谷哲さんと小沼ようすけさんのデュオ・ライヴの公演が予定されていたんだ。ちょうどいいから、デュオの概略と、その楽しみ方なんかを知ってもらえたら、ライヴも楽しくなるんじゃないかと思ったんですわ。
ほほ〜、いい落としどころがあったねぇ(笑)。
それで5つめは「ジャズ&デュオの現在を知るべし」と題して、ここ最近のデュオの動向と注目株などに触れて、ぜひライヴも楽しんでくださいという感じで締めくくったわけ。
へぇ、それを1時間で?
そう、駆け足でしゃべり続けだったけどね。
あれ? 音源を使ったりしなかったの?
実は、その場所が音楽を流したりできない場所だったんだよ。それを打ち合わせの時にしらされて、一瞬「え?」っと思ったんだけど……。
前に何度かやったセミナーでは、音源を使ったんでしょ?
うん、だいたい10曲ぐらい、用意して聴いてもらいながら話をするという感じ。要するに、ラジオ番組に出演するときと同じような構成でやってたんだけど、今回はまったく違うアプローチを取らなければならなかったんだ。
たいへんだったの?
実はね、音源を用意するのもたいへんだから、一概に音源ナシがハンディキャップだったとは感じなかったんだよ。逆に、音を聴かせながらだと話が途切れるし、興味のない音源の時は来場者も飽きちゃうだろうからね。
そうかぁ、いい体験だったんだね。
うん、音楽のことがテーマだから、音楽を聴かせないとダメだという先入観があったんだけど、重要なのは話の内容のほうだからね。音源ごとに流れが途切れないし、テーマも絞ることができて、自分としてはまとまった1時間のセミナーになったと思ってるんだ。
お疲れさまでした。
はい、お疲れさまでした。またオファーがあったら、報告にくるね。

 

「ジャズ生誕100周年!」というのは流行りのフェイクニュースなんだけどなぁ(笑)

 

春前からネタにしようと思っていたのに、なかなか書く時間が取れなくて、すでにお盆も過ぎて2017年が終わりに近づいているんじゃないかと焦ってきたので、とりあえず書きます(汗)。

 

そう、今年は「ジャズ・レコード誕生100年」なんですね。

 

オリジナル・ディキシーランド・ジャズ・バンド名義でレコーディングが行なわれたのが1917年。そこで初めてジャズというワードがレコード盤の表紙を飾り、それから100年が経った節目ということです。

まぁ、そのちょっと前(1916年ごろ)にジャス(JASS)という隠語がジャズ(JAZZ)と表記されるようになって、演奏会場に貼り出されるポスターなどには使われていたようですが、それが正式にレコードとしてクレジットされたのが1917年という年。

もちろん、その数十年前から、ニューオリンズ・スタイルの音楽は完成していたんですが、呼び方なんて重要じゃなかったんでしょうね。だから付けられなかった。これもまた、差別という範疇で語られるべきエピソードかもしれません。

 

 

こちらは「ジャズ生誕100周年!」という、ユニバーサル・ミュージック・グループの特設サイト。

別にいちゃもんを付けるわけではないのですが、短くして「ジャズ生誕100周年!」と表記されると、1917年にジャズが誕生したと思っちゃう人がでてくるんじゃないかと心配(笑)。

 

ボクがジャズの仕事を始めた1980年代、ジャズは20世紀とともに始まった、なんて言われていたんです。

でも、資料にあたるたびに、それじゃあ辻褄が合わないぞ、と思っていた。

ようやく最近、19世紀説が広まってきて、よかったよかったと思っていたので、また錯誤が生じると困るなぁ、と。

 

とはいうものの、ジャズに興味をもってくれる人が多いから、そういった心配をしなくてはいけないということですよね。

考えたら100年も150年も前のことなんだから。

日本でいえば、明治維新前後とか、そんなころのことです。

ドラマやドキュメンタリーでどんどん新解釈・新事実がでてきたりするのも一興でしょう。

なにか出てきたら、続報しましょう。

 

そういえば、ちょっとだけ「JAZZ100年」のシリーズ企画雑誌のお手伝いをしたことがあったんだったっけ、と思い出しました(汗汗)。

 

そういえば江利チエミさんがサザエさん役をやっていましたね

 

桜新町に取材に行きました。

サザエさん通りを歩いていると、あ、サザエさん!

 

むりやりジャズのネタにすると、サザエさんの実写ドラマで江利チエミさんが演じていたのがありましたね。

 

 

調べてみると、江利チエミ版「サザエさん」は1956年から1961年までの映画だったんですね。

もちろん、そのころに観ているわけはないので、さらに調べると、1965年から67年までTBS系列でテレビ・ドラマになっていました。

こっちを記憶していたんですね。

 

う〜ん、上手いですねえ。

 

 

ブランドXが再結成されたそうです

 

久しぶりにパーシー・ジョーンズのフレットレスを聴くと、懐かしさがこみ上げてきますな(笑)。

ドラムはケンウッド・デナード。

そうなるとあの時期(つまり80年代前半)は、ジャコ・パストリアス・トリオとブランドXって、拮抗していたと言うことになるわけですね。

ドラマーがビル・ブラッフォード→フィル・コリンズ(そういえばジェネシスでブラッフォードとコリンズが並んで叩いていたことがありましたね)→ケンウッド・デナードとスライドしていった、リズム的な類似性も興味深い。

 

 

 

 

10/18にラジオ出演します!

 

ユキ・ラインハートさんと行方均さんがパーソナリティを務める「AOR」というラジオ番組に、急遽、出演することになりました。

 

「AOR」の火曜日20時台にオンエアされている「JV Night」という枠です。

 

10月18日火曜日20時からの1時間番組。行方均さんさんのピンチヒッターです。

 

FM岩手、FM秋田、FM長野、FM富山、FM石川、FM福井、岐阜FM、FM岡山、FM山口でフル・バージョン(60分)を聴くことができます。FM香川、徳島FM、FM高知、FM大分、FM宮崎、鹿児島FM、KISS FM神戸では短縮バージョン(45分)になります。

 

 

うちのエリアじゃ、電波がきてないよ〜、という人、安心してください!

ラジコ(radiko)を使えば聴くことができます(たぶん)。

 

 

ということで、しゃべりのお仕事、頑張ってきますね。。。

 

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“吉原〆”というのを習ってきたぞ

 

先日参加した「純米燗酒を究める会」。

 

名前は仰々しいけれど、要するに美味しいものを食べながら、それに純米酒をマリアージュさせちゃいましょうという、のんべぇで食い意地が張っているだけの集まりってことだ(あ、主催者さん、すみません……)。

 

その会のエンディングで、会場となった「桜なべ中江」がある吉原に伝わっている手拍子による手締め「吉原〆」というのを教えてもらった。

 

それがこの映像。

 

 

地域によっていろいろな手締めのやり方があるようだけれど、これもまた独特。

この老舗料理店は、住所を見れば台東区日本堤、目の前が吉原大門という立地。この伝統もまた、吉原ならではのものなのだろうか。

 

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[追悼]井上淑彦さんを悼んで「zephyr インタビュー」再掲

 

サックス奏者の井上淑彦さんが亡くなった。

取材をさせていただいたのがちょうど2年前の桜が咲こうとするころ。

 

2012年3月に立ち上げた、彼の第3のレギュラー・ユニットとなるzephyr(ゼファー)というユニットがファースト・アルバムをリリースする2013年3月のことだった。

 

田口悌治と天野丘というスタイルの異なる2人のギタリストを擁するユニークなトリオだ。

 

強烈な個性を放つ3人のユニットということで、取材も気合いを入れて臨んだ。井上淑彦さんには、森山威男クァルテット時代以来のファンだったこともあって、話をうかがえるのを楽しみにしていた。

 

井上淑彦さんの「いつも“過程”でいたいんですよ」という言葉がとても印象的だった。自らの行為に結果を求めることで安心を得たいという人は多い。しかし彼は、それをあえて否定し、“過程”でいたいというのだ。

それは成長を求めるための理想であり、一方では答えを得られないもどかしさがつきまとうはず。

音に対しても答えを求めず、“過程”を求めるということこそ、型にはまらないインプロビゼーションを求める真のインプロヴァイザーとしての矜持がそこにあるような気がした。

2013年5月号掲載の「jazzLife」誌掲載の記事を再掲したい。

 


 

 

柔らかな風が巻き起こす

インプロとアンサンブルのシームレスな幻影

 

 サックス、アコースティック・ギター、エレクトリック・ギターというユニークな組み合わせの3人組ユニット“zephyr(ゼファー)”がアルバムを制作した。リズム楽器を起用しないことで独特の“柔らかなサウンド”が生まれた背景や、それぞれが考えるサウンドへのアプローチなどについて語ってもらった。

 

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2+2⇒3という出会い

 

zephyrを語り始める前に、zephyrとして集結することになった3人の関係について整理しておこう。

井上淑彦と田口悌治の共演歴は、田口が2005年に制作した2ndアルバム『ワン・フォア・セヴン』に井上をスペシャル・ゲストとして招いたことに始まる。その後、池袋のP’s Barというライヴハウスにデュオで出演。このデュオと、田口悌治が天野丘とやっていたデュオがやがて合体することになる。

その田口と天野は、5〜6年前に天野が講師を務める渋谷の音楽教室ルフォスタで開催していた定期演奏会に田口がゲストで呼ばれ、天野と2人で「なにかやってください」ということになって意気投合して以来という付き合い。

井上は三好“サンキチ”功郎と加藤崇之を擁するバンドを組んでいたり、ほかにも井上銘(g)と市野元彦(g)、市野元彦と清野拓巳(g)などのツー・ギター・バンドの経験があるように、ギターが2本あることに違和感よりもむしろ可能性を感じているようである。しかしその彼にしても、田口と天野というタイプの大きく異なるギタリストとの3人編成を最初からイメージしていたわけではなかった。

発端は2012年3月。品川のイーストワンタワーのエントランスホールで、あるイヴェントが開催されることになった。井上と田口のデュオが出演していたP’s Barのマスターがこのイヴェントに関係して縁で、2人にも出演のオファーがあったのだが、その際に田口の頭のなかに、もう1つのデュオすなわち天野丘を加えてみたらどうかというアイデアがポンッと降りてきた。イヴェントは1時間ほどのワン・ステージ。そこで手応えを感じた田口は、すぐにその夜のP’s Barのステージに出演することを決めてしまう。こうして、ギリシア神話に登場する西風の神に由来し「優しい風」を意味するzephyrは動き始めた――。

 

初共演の瞬間に決定したバンド結成

 

井上 昼のイーストワンタワーでのライヴと、夜のP’s Bar、両方ともすごくおもしろかったので、すぐにバンドにしちゃえってことになったね。

田口 それで3人で最初にライヴをしたあと、すぐに井上さんが名前を考えてくれたんですよね。

井上 zephyrっていう言葉をどこかで見て、おもしろい意味だなぁって思って、手帳に書き留めていたんですよ。まさに3人のサウンドにピッタリ合うと思ってね。

天野 イーストワンタワーのライヴはよかったですよね。あそこは広くて天井も高くて、エコーの感じが独特だった。俺は弾いていて「あぁ、音楽がこの3人を呼んでくれているなぁ」って思ったもの(笑)。それまで共演したことがなかった3人が集まったわけだから、最初はどうなるのかなぁって不安もあったんだけど、始まったらそんなのは吹っ飛んじゃった。自分が好きなように演奏すればいいんだって思えたからね。

――デュオではなく3人になったから見えてきた可能性があった?

井上 サックスとギターのデュオだと、どうしてもギターが1人になってしまう場面が多いですよね。僕が吹いていないとそうなるわけだから。だからといって、無理にチョコチョコ絡むようにするのもヘンだし。それが3人になったら、いろいろできることがあるんじゃないかって、そのとき思いましたね。

田口 サックスとギターだと、ソリストと伴奏者になっちゃうことが多いんですよ。でも、ギター2本になると、伴奏していない人がそこに加わるからその感じがおもしろいなぁって思ったんですね。この3人だと極端な場合は、みんながソロをとっていたりするから(笑)。

井上 最初は田口もエレクトリック・ギターを弾いていたけど、サウンド的にアコースティックにしたほうがいいんじゃないかって変えたら、バランスがものすごくよくなった。それでまた3人でやる意味が広がったよね。

――井上さんはギター2人と空間に「入っていく感じ」なんですか、それとも「自分のほうへ引き寄せる感じ」なんですか?

井上 両方ですね。

天野 うん、そういう気がします。

――出入りが自由なところも、zephyrが求めている部分?

井上 そう。誰かが出した音を聴いて、感じたことを音にしていくというイメージ。そういうのを0.0何秒というところでやりあっていくというような……。

天野 瞬発的に、自分がそこでなにをすればいいのかということを考えて表現するんです。

井上 0.1経っちゃったら、もう遅い(笑)。

――インプロヴィゼーションと言ってもいいんでしょうか?

井上 基本はインプロヴィゼーションです。

田口 そう、インプロヴィゼーションですね。だから、アンサンブルとインプロヴィゼーションの混ざり合い方がまたおもしろいところで、たぶん聴いている人はどこからどこまでがアンサンブルで、どこからがインプロヴィゼーションなのかわからないという……。

天野 そういう曲があるよね、はっきりしている曲もあるけど。

――必ずしもジャズに準拠しないという意味も含めて?

田口 ビバップのセオリーに則っていない曲もあるという部分ではそう言えるでしょうね。

 

書き込まれた譜面の向こうに見える自由

 

――アルバム制作のきっかけは?

田口 僕がそろそろ次のアルバムを作りたいと考えていたんです。だけど、ちょうどzephyrというバンドができたから、その始まりの部分を記録しておきたいなと思って、2人に話を持ちかけてみたんです。

――選曲は?

天野 最終的なまとめはテイちゃん(田口悌治)だったよね? レコーディングするんだったらこれをやろうってみんなで持ち寄ったものを渡して、選んでもらったという感じ。

井上 ライヴではいろんな曲をやってるけど……。

天野 けっこうレパートリー多いですよね。

田口 トシさん(井上淑彦)が多作で、次々に曲を持ってくるから(笑)。オリジナルも多いけど、スタンダードもしっかりアレンジしてやってるよね。収録した「ソフィスティケイテッド・レディ」なんか、ちゃんとアレンジしてるから。

天野 バッチリ書き込んでますよね。

田口 インプロヴァイズ以外のところはすべて譜面どおりにやってくださいという、まるでクラシックみたいなやり方もするからね(笑)。

井上 1曲目の「フェアリー・ウッヅ」も、アコースティック・ギターのアルペジオに関してはすべて譜面に書いてあるんですよ。

田口 そう、譜読みなんです(笑)。

井上 そのアルペジオ自体が曲であるというか、メロディと同等に扱われるように作った曲だからね。

田口 それに対して、譜面にまったく書かれていないことをキューちゃん(天野丘)がやってるんだよね。

――譜面に書かれたことと書いてないことという“束縛と自由”がzephyrの特徴?

井上 いや、自分がその瞬間に出ている音に対してなにをするのかということ自体が、ある意味で束縛でもあるわけですよ。反応するということは、自分がやりたいように演奏することとは違うわけだから。そういう意味での束縛はあるけど、それはそれで心地良いわけです。だから、譜面のあるなしではなくて、どのバンドにも“束縛と自由”はあるんですよ。

田口 譜面どおり細かく刻んで弾かなければいけないというパートを弾いているときに束縛を感じるかといえば、そうじゃないんですよね。その瞬間も井上さんのサックスの音とかキューちゃんのギターの音が僕には聴こえていて、そのなかにいることが自分の意識を解放することにも繋がっているから。

天野 譜面を読んで楽器を弾くというのは、そこから音楽を始めるよという状態だと思うんですよね。だからある意味で、譜面のような束縛があるというのはいいことなのかもしれない、束縛されないためのきっかけとしてね。

――zephyrには、到達点というか、こういうサウンドになればいいなぁというのはありますか?

井上 僕にはないですね。基本的な姿勢として、自分が作ったときのイメージを表現できればいいというのと、あとはこの3人それぞれの個性でそれが変化していくおもしろさが出ればいいと思っているので。だから、曲の一部分でも完成に近づいたとしたら、そのときは絶対にぶち壊すと思いますね(笑)。

田口 なるほど(笑)。

井上 いつも“過程”でいたいんですよ。

天野 そういう意味では、zephyrが結成された初期の“過程”が記録されたことは重要ですよね。

井上 そうだね。ライヴはすでにアルバムとは違っているから……。

――つまり、このアルバムはzephyrの録音時点までの“過程”であり、すでに次が始まっている、と?

井上 アルバムとライヴを聴き比べてもらえば、それがわかると思います。

天野 そこがこのバンドのおもしろいところなんですよ(笑)。

 

 

2013年3月18日のインタビューから

インタビュアー&まとめ:富澤えいち

 

 

 

 

 

 

〔追悼〕2010年夏_ルー・ソロフ『スケッチ・オブ・スペイン〜マイルス・デイビス&ギル・エヴァンスに捧ぐ〜』インタビュー

 

ルー・ソロフさんが亡くなられました。

 

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ボクが彼にインタビュー取材をしたのが2010年の夏のこと。

 

絶好の機会だったので、ギル・エヴァンスの伝記を持ち込んで、根掘り葉掘りと昔のことを聞いてみた。

 

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プロモーションのためにインタビューに答えてくれる人のなかには、関係のない話題だと露骨に嫌な顔をすることがあったりする。

 

ご機嫌を損ねたらすぐに引き上げようと思っていたら、彼は懐かしそうにいろいろと話をしてくれた。

それで、とても思い出深いインタビューになった。

 

「ジャズライフ」誌に掲載した原稿を追悼のためにここに再掲したい。

 


 

 

マイルスを継いだ巨人が再現する

ギル・エヴァンスの残した超魔術

 

ジャズ史に燦然と輝くオーケストラの名作『スケッチ・オブ・スペイン』が完全な形で21世紀のいまに蘇った。その中心には、名作を世に送り出したギル・エヴァンスの“右腕”として活躍し、ジャズ・オーケストラの最前線を走り続ける男の姿があった。その男、ルー・ソロフに、奇才と讃えられたギルの想い出や、名作再演にまつわる所感などを語ってもらった。

 

魔法使いがいたオケとの出会い

 

  •  ルー・ソロフさんとギル・エヴァンスの出会いは、レコーディングとしては1974年の『プレイズ・ジミ・ヘンドリックス』からとなっているようなのですが、1966年にはすでにギルのオーケストラに参加していたそうですね。

 

ルー・ソロフ(LS) そのとおり。ディスコグラフィー上は74年からだけど、ギルと一緒に演奏するようになったのは66年からだ。68年から73年まではブラッド・スウェット&ティアーズ(BS&T)のツアーで忙しかったから、あまり彼のオーケストラに参加できずにいたけれど、それでもたまには一緒に演奏していたんだよ。でも、73年からは本格的に彼のオーケストラで演奏するようになったんだ。

 

  • 1966年にギル・エヴァンスと一緒に演奏するようになったのは、どんなことがきっかけだったのですか?

 

LS 彼がトランペット・プレイヤーを探していたんだよ。ハワード・ジョンソンが私を紹介してくれたんだ。ギルは、トランペットとリード楽器の両方を演奏できるプレイヤーを探していたんだけど、当時はあまりそういう人材がいなかった。それで私に白羽の矢が立った、というわけなんだ。

 

  • そのときは何歳だったんですか?

 

LS えーと、22歳になったころだったかなぁ……。

 

  • なにをしていたのですか?

 

LS ちょうどイーストマン音楽院を卒業したころだね。ジュリアード音楽院の予備校に通っていたんだけど、プロのバンドの仕事もやるようになっていた。ジョー・ヘンダーソンやケニー・ドーハム、マチート、メイナード・ファーガソン、ハワード・マギーなんかのビッグバンドの仕事だったけどね。結局はそっちのほうがおもしろくなって、ジュリアードには行かなくなっちゃったけど(笑)。それで、ハワード・ジョンソンとよく一緒に仕事をするようになって、彼から「ギルがメンバーを探しているんだ」という話を聞いたんだよ。ギルのところへ行った最初のリハーサルでは、ドラマーがサニー・マレーで、トランペットはジョニー・コールズだったことを覚えているよ。そうそう、ビリー・ハーパーもいたね。

 

  • リハーサルに顔を出していただけだったんですか?

 

LS コンサートも何回か出演したよ。最初のころで覚えているのは、ホイットニー・ミュージアム・オブ・アートでやったことかな。ギタリストのジョー・ベックや、ジミー・クリーブランドがメンバーにいたっけ。

 

  • BS&Tのツアー・メンバーであったときにもギル・エヴァンス・オーケストラに参加していたとのことですが、忙しいのになぜそうまでしてギルの活動に参加しようとしていたのですか?

 

LS BS&Tの仕事はとてもすばらしいものだったといまでも思っているし、ポピュラー音楽の世界で貴重な経験を積ませてもらったと感謝しているよ。私の名前をみんなに知ってもらえるきっかけにもなったしね。でも、音楽的な面では、創造的な自由というものは、正直に言って、望めなかったからね。そういう意味で、音楽的な私の欲求を満たしてくれたのが、ギルとのセッションというわけなんだ。彼とのセッションは、すべての意味において“フリー”だった。そして彼は、誰からも尊敬されていた。彼がどれくらい尊敬されたかは、人それぞれに言い方が違うだろうけれど、たとえば私の場合ならこんなエピソードが相応しいかな。私のレコーディングのときにプロデューサーから「この部分はカットしよう」と提案されて、それに納得できないことがあったんだけど、「じゃあギルに聞いてみよう」ということになった。それでギルに聞いたら、「それはカットしたほうがいいよ」と言ったから、私は即座に「カットする」と言ったんだ(笑)。それくらい、ギルはジャズの音楽家たちにとって、絶対的といってもいいほどの影響力をもち、尊敬を集める存在だったんだよ。彼はまさにWizard(魔法使い)なんだ。マイルス・デイヴィスも、スタジオに入るときは必ずギルを呼ぶようにしていたよね。ギルはマイルスにとって、アドバイザーでありプロデューサーでありコンポーザーでもあったということになるだろうね。私もギルに同じようなことを求めていたと思う。でもギルは、同席していたからといっても、口うるさくなにかを主張するようなことはまったくなかったよ。なのに、重要なポイントになると、ポツンとなにかを言ってくれるんだ。それがまた、全員を納得させるだけの重みのある言葉だったりするんだよ。すごいだろ? まさに魔法使い、なんだよ(笑)。

 

名作には謎がいっぱい?!

 

  • ルー・ソロフさん自身としては、なにかギル・エヴァンスの活動を引き継いでいこうという構想はあったのですか?

 

LS 僕の名義で『リトル・ウィング』(1991年)というトリビュート・アルバムを作っている。ギルが亡くなった後に録音したものだ。それから、ライヴではよく「ゴーン」や「ブギー・ストップ・シャッフル」「プリステフ」といったギル・エヴァンス・オーケストラでおなじみだった曲を演っているよ。僕が参加しているマンハッタン・ブラス・クィンテットでも「イレヴン」や「リトル・ウィング」を取り上げている。マンハッタン・ブラス・クィンテットではまだギルのレパートリーをレコーディングをしていないけれど、とてもよいバンドで、ギルが残してくれた“音楽”を誠実に受け継いでいるバンドのひとつだと思うよ。

 

  • 『スケッチ・オブ・スペイン』の制作は、なにがきっかけで始まったのですか?

 

LS バーニー・グロウという、ギルがマイルスとやったオリジナルの『スケッチ・オブ・スペイン』に参加しているトランペット奏者がいて、彼はもう亡くなってしまったんだけど、家族ぐるみの付き合いをしていたんだ。そのバーニー・グロウの友人から「やらないか?」って電話がかかってきたんだよ。僕はもちろんすぐに「オーケー!」って返事をしたよ。彼の名前はスティーヴ・リッチマン、今回のオーケストラをまとめて、プロデューサーとしてもがんばってくれた人物なんだ。

 

  • 『スケッチ・オブ・スペイン』をやろうという話は、ルー・ソロフさんにとって昔の名作を再現する“懐かしさ”を感じるものだったのか、チャレンジ魂に火をつけられるような“新たな”ものだったのか、どちらでしょう?

 

LS 実は、私自身はなんでみんながこんなに『スケッチ・オブ・スペイン』というアルバムを特別視するのか、よくわからなかったんだよ(笑)。『ポーギーとベス』なら、私のお気に入りの曲がたくさん入っているから理解できるんだけど……。でも、改めて今回、このアルバムを聴き直していろいろと分析してみるうちに、その理由が理解できるようになってきたんだ。ギルの音楽に挑戦するということは、楽しいことでもあるし、一方でとても厳しく辛いことでもある、ということも含めてね(笑)。ただ、ギルの音楽を伝えていかなければならないという想いは僕だけじゃなくて多くの音楽家のなかにもあるし、そのニーズが高まっているんだけれど、残念ながらほんの数人を除いて、ギルやマイルスの残した音楽というものは、単にエミュレート(模倣)するだけの演奏になってしまうことが多いんだよ。だからこそ、そうならないようなものを作らなければいけないと思っていたんだ。

 

  • このアルバムは、ポピュラー音楽のオーケーストレーションにとって、どのような影響を与えるものだと考えていますか?

 

LS それについては、私からはなんとも言えないね。とくにこの『スケッチ・オブ・スペイン』については、オリジナルであるギルの評価が確立されているからね。この新しい『スケッチ・オブ・スペイン』を聴いて、「なんだ、リメイクか……」とか、あれだけの高い完成度のある作品がすでにあるのに無謀な試みだとか、いろいろ批判する人もいるだろうけれど、前向きにとらえてもらえるのなら、新しい発見をしてもらえると思うよ。ミュージシャンとしては、過去の評価に縛られずに、常に現在を演奏していかなければならないからね。だから、必要以上に神聖視したり、逆に無視したりすることなく、もっとみんなでギルの残してくれた遺産を演奏するべきだし、そのことを楽しんでもいいんじゃないかと思うんだよ。そういう意味では、『スケッチ・オブ・スペイン』という作品自体を、ベートーベンのシンフォニーと同じように扱ってもいいんじゃないかと思っているんだ(笑)。

 

  • つまり、『スケッチ・オブ・スペイン』とは、それほどの、オーケストレーションの教科書としてみんなが学ぶべき、そして愛すべき作品である、ということでしょうか?

 

LS そのとおり。まさにオーケストレーションの“見本”として取り上げるべき作品だと思うね。ジャズにおいては、デューク・エリントンの作品と同じように、ギル・エヴァンスのすべての作品は、後世に残らず伝えるべき偉大な遺産なんだよ。

 

  • とても貴重なエピソードを話していただいて、きょうはありがとうございました。

 

LS こちらこそありがとう! きょうは私がもっとも尊敬しているギル・エヴァンスのことについて、いろいろと話をすることができて、とてもうれしかったよ(笑)。

 

(インタビュー・まとめ:富澤えいち、2010年6月)