コペルニクス的転回でアリア無しのオペラは息を吹き返せるのか⁈

オペラはアリアが聴きどころ、とボクも思っていたけれど、確かにこの発想はおもしろいかも。

オペラとしてパッケージされた(つまり「成立した」)時代とは観劇の感覚が変化していることを考えると、このような演出のアレンジはあってしかるべきかもしれない。

アリアはアリアだけで独唱会を開催するとか、アリア無しのオペラのPVで動画に仕立てるとか。

アリアに興味をもってアリア無しのオペラを観に行っても、現代では違和感はないのでは?

物足りないと思った人には、物販でアリアのCDを売れば良いと思うし。