ヤマハWEB音遊人
富澤えいちの執筆担当記事の紹介です。
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日本のジャズの源流をたどる旅、渡辺貞夫さんから佐藤允彦さんの巻へと移りました。
サダオさんにとってのセルジオ・メンデスとの出逢いがターニングポイントであったように、佐藤允彦さんのターニングポイントが日本のジャズにもたらしたものはかなり大きいのではないか、ということを探っていこうと思っています。
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日本のジャズの事始めを探ろうという連載。
渡辺貞夫さんの提示した“新しいジャス”を、流行ではなく必然として評価したいと思いました。
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サダオさんのバークレー時代を掘り起こしています。
彼が1970年代を迎えようとする日本にどのようなジャズをもたらそうとしたのかは、日本のジャズを考えるうえで避けては通れないものだと思っています。
ブラジルやアフリカというキーワードが出てきたのがようやく腑に落ちるようになってきたかと思っています。
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蕎麦屋の出前持ち(いまでいうデリバリー、ウーバーイーツとか出前館ですな)が鼻歌で「モーニン」を歌っていたとまで言われたブーム。
社会情勢的には主権の回復と朝鮮特需、朝鮮戦争に介入するアメリカ合衆国への関心が高まったことなどが影響しているのではないかと考えられますね。
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穐吉敏子さんの米バークリー音楽大学留学は、戦前に上海へ“出稼ぎ”に行った行動とは違うというあたりを掘ってみました。
実は、その行動の違いが、1960年代以降の日本のジャズのアイデンティティに大きな影響を与えていたのではないかと、仮説を立ててみます。
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日本のジャズ・シーンが戦前の上海で得た成功体験を考えずに、戦後のジャズの足取りはたどれないのではないか、というこのがこの原稿のきっかけです。
上海リヴァイヴァルは、日本人のジャズへのイメージにもいまだに大きな影響を残しているのではないかと思うのですが、いかがでしょうか。
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今回は、穐吉敏子さんのリーダー・バンド、コージー・クァルテットのエピソードから。
参加した若き渡辺貞夫さんが、金にならないのに勉強のために演奏していたというニュアンスが伝わってきて、当時の混沌としたジャズ・シーンの状況が匂い立ってくるような気がしました。
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