▼インタビュー 「ジャズ・ピアニスト 秋吉敏子さん」/ヨコハマ・アートナビ10月号
7日に横濱ジャズ・プロムナードへ出演予定の
日本が世界に誇るジャズ・ピアノの至宝
穐吉敏子のインタビューがありましたのでご紹介。
文中は「秋吉敏子」となっていますが、
ボクは「穐吉敏子」と表記します。
終戦後、引き揚げて別府にたどり着き、進駐軍向けのダンスホールに雇われるところから、私のジャズ・ピアニストの歴史が始まるのですから、ジャズで恩返ししたい気持ちはありますね。
穐吉さんにとって、中国(満州)から無事に日本へ
渡れたこと、日本で音楽ができたことの嬉しさが
伝わるコメントだと思います。
これが彼女のジャズの原動力になっていたのでしょう。
1954年頃に横浜の小さな船員向けクラブ「ポート・ホール」で演奏する仕事をもらいました。壁側にバーがあって反対側にテーブル席が少し、狭いダンスフロアがあるだけのお店でしたが、どんな曲でも自由に演奏させてもらえたのがありがたく、私にとっては最高の職場でした。
「自由に演奏させてもらえた」というニュアンスが
現代では伝わりにくいかもしれませんね。
穐吉さんはまた、「自由に演奏する」ことを
貫いている人でもあるのです。
クラブでの演奏の仕事が終わった後、毎晩のように通ったのが野毛にあった「ちぐさ」です。
伝説のジャズ喫茶「ちぐさ」でのエピソードを
語っています。情報が少ない時代、むさぼるように
ジャズを吸収しようとしていた当時のミュージシャンの
姿が浮かび上がってくるようです。
穐吉さんのリハーサルを取材する機会があり、
ピアノを弾く彼女の真後ろで、その姿を見ることが
できたのですが、それはもう、すごいオーラでした。
オーケストラのリハだったので、ご自身のピアノには
集中できていないようすでしたが、タッチは強く、
「発言するピアノ」であることは十分に伝わりました。
1965年収録のTV番組の映像がありました。
すばらしいソロ・パフォーマンスです!
こちらは1958年のTV映像。着物を着てジャズを演奏している
ところがアメリカでの苦労を忍ばせていますね。
彼女はこうした差別を逆手に取って、アメリカでもその存在を
認めさせてきたのだと言えるでしょう。
これぞ穐吉敏子の真骨頂である、トシコ・アキヨシ=ルー・タバキン
ビッグバンドの演奏。和をモチーフにしたジャズを確立した
中核的な存在であることは間違いありません。
ビッグバンドでこのハーモニー、シビレます~♪