「ジャズで恩返し」穐吉敏子インタビュー記事[ジャズキュレーション]

 

インタビュー 「ジャズ・ピアニスト 秋吉敏子さん」/ヨコハマ・アートナビ10月号

インタビュー 「ジャズ・ピアニスト 秋吉敏子さん」   ヨコハマ・アートナビ-175421

7日に横濱ジャズ・プロムナードへ出演予定の

日本が世界に誇るジャズ・ピアノの至宝

穐吉敏子のインタビューがありましたのでご紹介。

文中は「秋吉敏子」となっていますが、

ボクは「穐吉敏子」と表記します。

終戦後、引き揚げて別府にたどり着き、進駐軍向けのダンスホールに雇われるところから、私のジャズ・ピアニストの歴史が始まるのですから、ジャズで恩返ししたい気持ちはありますね。

穐吉さんにとって、中国(満州)から無事に日本へ

渡れたこと、日本で音楽ができたことの嬉しさが

伝わるコメントだと思います。

これが彼女のジャズの原動力になっていたのでしょう。

1954年頃に横浜の小さな船員向けクラブ「ポート・ホール」で演奏する仕事をもらいました。壁側にバーがあって反対側にテーブル席が少し、狭いダンスフロアがあるだけのお店でしたが、どんな曲でも自由に演奏させてもらえたのがありがたく、私にとっては最高の職場でした。

「自由に演奏させてもらえた」というニュアンスが

現代では伝わりにくいかもしれませんね。

穐吉さんはまた、「自由に演奏する」ことを

貫いている人でもあるのです。

クラブでの演奏の仕事が終わった後、毎晩のように通ったのが野毛にあった「ちぐさ」です。

伝説のジャズ喫茶「ちぐさ」でのエピソードを

語っています。情報が少ない時代、むさぼるように

ジャズを吸収しようとしていた当時のミュージシャンの

姿が浮かび上がってくるようです。

 

穐吉さんのリハーサルを取材する機会があり、

ピアノを弾く彼女の真後ろで、その姿を見ることが

できたのですが、それはもう、すごいオーラでした。

オーケストラのリハだったので、ご自身のピアノには

集中できていないようすでしたが、タッチは強く、

「発言するピアノ」であることは十分に伝わりました。

 

1965年収録のTV番組の映像がありました。

すばらしいソロ・パフォーマンスです!

こちらは1958年のTV映像。着物を着てジャズを演奏している

ところがアメリカでの苦労を忍ばせていますね。

彼女はこうした差別を逆手に取って、アメリカでもその存在を

認めさせてきたのだと言えるでしょう。

これぞ穐吉敏子の真骨頂である、トシコ・アキヨシ=ルー・タバキン

ビッグバンドの演奏。和をモチーフにしたジャズを確立した

中核的な存在であることは間違いありません。

ビッグバンドでこのハーモニー、シビレます~♪