書店というのは本を買う店ではないということを改めて感じた

雨の午後、神保町に用事があったので、久しぶりに書店を覗いて見ることにした。

神保町を訪れるのが久しぶりというわけではない。機会があれば、お気に入りのうどん屋に立ち寄るために、わざわざ電車を乗り継いで、遠回りしても立ち寄ることがここ数年続いていた。

しかし、居並ぶ書店には目もくれず、うどん屋の入店待ちの列に並ぶのだ。

本は、ほとんどネットで買うようになった。横浜の磯子に引っ越して3年。駅の周辺に書店はない。最初は、その事実がとてもショックだった。

隣の駅の駅前ビルに比較的大きな書店が1つ、桜木町や横浜に出れば、大型書店がある。そうそう、山を越した上大岡にもあったっけ。

欲しい本は、メモしておいて、まとめて買えばいいやと思っていた。しかし実際には、わざわざ出向いてメモしていた本を探して買うという手間は、かなりストレスが大きい。

というか、書店で買おうと思っている本を探すという行為は、かなり「がっかり」であることが多いことが度重なっていた。

10冊欲しいと思っていた本があったとしても、書店でそれのすべてを見つけられるのは稀で、最近では頻繁にまったくないこともあった。必然的に、ネットで探すことになり、ここ1年は「まずネットで」ということになっている。

だから、もうボクのなかでは、書店は時間を潰す散歩空間で、そこでなにかを探したりするような期待外れであることの多い行為は避けようと決めていたようなのだ。

その日も、そんなつもりで書店に寄ったのかもしれない。

でも、しばらく歩き回っているうちに、これはおもしろそうだという本が見つかった。

それが『アメリカ黒人の歴史』だ。

岩波新書とは別の著者で別の内容なのでご注意を。

植草甚一さんの古本屋巡りの本に、本は呼び寄せるものだから、最初にどんなものでもいいからまず1冊、なにかを買うというようなことが書いてあった。

ボクは別にそんな呼び水のようなことはする必要はないのだけれど、このように「本との出逢い」があった日は、それに従うのがいいのではないかと思ったのだ。

そういえばと、中断していた「ローマ人の物語」の続きを買うことにして、その棚の平台にあった塩野七生『ローマ人の物語』スペシャル・ガイドブックというのも発見して、買うことにした。これはちょうど『ローマ人の物語』が完結した記念で刊行されたものらしい。文庫も完結したことをうけて、文庫版が出たようだ。

うん、こういう「芋づる式」の出逢いは、とても楽しい。ワクワクする。

リアルな店舗じゃなければ味わえない。「え? ネット書店でも、この商品を選んだ人はこんなものも買ってますとかチェックしてますという表示が出るじゃないの」と言われるかもしれない。いやいや、ぜんぜん違いますよ。

買おうと思って手にとって、それがだんだん増えていく感じが、「どうしよう、これも買いたいけど、そうなると3千円超えちゃうしなぁ」などという逡巡にリンクしたりして、脳内が活性化して行くのを感じるのだ。

座り読みできるように椅子をおいたり、カフェを設置したりするような工夫よりも、もっと本自体にフォーカスした空間作りのほうを書店には考えてほしいと思った。

メディアとのミックスであれば、表紙をカメラで見ると映像が浮かび上がって、本の内容の世界を垣間見られるとか、そのジャンルに関するクイズとか豆知識がポイントのようにゲットできるとか。

興味が盛り上がれば、その場で「この本が欲しい」となって、売り上げにつながると思うし、それでも便利であればネット書店で検索し直して買うだろう。

でも、少なくとも売り場に足を伸ばす人が増えることは間違いないはずだ。

実は、電子書籍リーダーの使いづらさにかなり閉口してきているので、自分のなかにリアルな本への回帰願望が出てきているかもしれない。ただ、収納場所の問題を考えると、諸手を挙げて賛成というわけにもいかないのだが。